毎年8月9日の長崎の平和祈念式典で読まれる「平和宣言」は、原爆投下から3年後の1948年に始まった。近年は一貫して核兵器の廃絶を訴え続けているが、73年の間には、時代の情勢が色濃く反映されてきた。長崎の戦後史に詳しい長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)の山口響・客員研究員(45)にその歩みを振り返ってもらい、将来あるべき姿を聞いた。
「原子爆弾によって戦争は終止符をうたれた」。48年の1回目から51年まで毎回(朝鮮戦争で式典が中止された50年を除く)、平和宣言にはこのような趣旨の表現があった。
この時期の日本は米国を中心とする連合国の占領下にあった。山口さんは米国への配慮で原爆の被害を強く訴えられなかっただけではなく、被害があまりに大きかったことが背景にあるとみる。「『戦争を終わらせた尊い犠牲』と位置づけ納得することが、当時必要とされていた」
日本が独立を回復し、米国によるビキニ環礁の水爆実験を機に原水爆禁止運動が始まった50年代後半から、核廃絶の主張が盛り込まれた。平和宣言の柱として定着するのは70年代になってからだ。
被爆から四半世紀が経った7…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル